稲刈り体験で、有機農業について知ったこと

数年前に埼玉で有機農業を始めた知人のO君、時々メールの近況報告で、一人で新規農業にいどむ体験談を知らせてくれていました。
有機農業というと、心豊かな田園生活を想像しがちですが、体験談では経済的な厳しい現状も含めリアルな農業生活が伝わってきていました。

本格的な稲作を始め2年目となる秋の週末、稲刈りのお誘いがあり、夫婦で手伝いに行くことにしました。
池袋から1時間半ほど電車に乗ると、建物が少なくなり緑豊かな田園地帯が広がってきます。待ち合わせした駅に現れたO君は、軽トラに農具を積み、作業ズボンが板についていて、見た目はベテラン農家といった感じでした。軽トラは2人乗りなので、ご近所の女性が私達の車送迎をしてくれました。駅から昭和な感じの商店街(昔は街道の宿場町風)を抜け、車で約10分、コスモスの奥に見える3枚の田んぼが、今回の目的地です。

田んぼの向こうには鎮守の森

JR八高線が通る長閑な山里

十数名のお手伝いが集合したのですが半数以上が女性とちびっ子。近所の新規就農仲間の人も女性。もっとマッチョな男性陣を想像していましたが、この草食系な雰囲気こそ有機農業の本質を表しているのかもしれません…。

台風が接近しているとはいえ、この日は良い天気。清々しい稲刈り日和だなあ…と思ったのですが、作業が始まり体を動かすと、汗はかくし、喉も乾く、肌に日差しがジリジリきて、全然爽やかじゃなくなっていました。
き、きつい…。
作業する人は大勢いるし、田んぼ3枚くらいの稲刈りは簡単に終わると思っていたのに…。


私の生まれ育った庄内平野は、広い田に高い山々に積もった雪解け水が注ぎ込む、米作りの環境としてはとても恵まれた地域でした。先祖代々受け継いできた農地、大きな貯蔵施設、稲刈りから脱穀作業を一気にしてくれる機械、そんな、有って当たり前だと思っていたものが無かったら…。
今回、その無かった場合の過酷さを学ぶことができました。

O君は稲を刈る小さな機械は持っているのですが、それは刈り取って束ねるというシンプルなもの。脱穀はできません。
そこで「はざがけ」という方法で稲の束を乾燥させ、後日脱穀作業をするのだとか。こうした方が米に甘みや旨味が増すというメリットもあるそうです。ただ、天気が良ければ問題ありませんが、天候が不安定な時には手間がかかり、途中で台風や雨にみまわれるリスクもあります。コンバインがあれば一度に脱穀まで終えることができるのですが、そうした機械は高額で、O君の農業規模ではどんなに頑張っても減価償却できないそうです。
田んぼの端や角は刈り取り機が入らないので手で刈り取ります。
刈り取り自体は大勢でやれば大した事ではないのですが、それを束ねる作業が大変でした。古い稲藁を紐代わりにして結ぶ際、結び目をしっかり固定するのが難しいのです。藁の端を折り、指でギュウギュウ隙間に押し込んで止めるという作業に時間がかかり、指先も痛い。
また、はざがけ用の棒を立て作業にも困難が…。稲藁の重さに耐えられる強固なものを組まなきゃいけないんだけど、数に限りのある棒を節約しようと支柱の間隔を長くとると、強度的に不安定になってしまう…。こうした棒を(お金をかけずに)手に入れることも新規就農者には難しい…。

全く無の状態から、有機農業を始めるのって「無」の連続だ…。お金をかけずに手間をかけるといっても、一人じゃあ大変だし、不安だろうなあ。昔の農村で村八分になることが如何に辛かったか…。そんな諸々のことを考えつつ、稲刈り作業は日没まで続きました。

目標の半分くらいしかできなかったけど、暗くて何も見えなくなっちゃったんで作業は終了。手伝いの皆でオーガニックカフェで夕食。疲れてクタクタ状態でしたが、美味しい食事をしたら元気がでてきました。
食事をしながらの話題は、O君がどうしたら有機農業で食べて行けるか、、、だれもが農業の大変さを同じように感じ取ったんでしょうね。荒唐無稽のアイディアを含め話は尽きませんでした。