乳液から入浴剤

お風呂の入浴剤って、無かったら無いでどうにかなるけど、あったら嬉しい…。
ちょうど、入浴剤が切れてしまい、重層とかアロマオイルで代用しようかとも思ったんですが、ちょっと別の方法を試してみました。
ボディ用乳液、ほとんど使い切ったけどボトルの底に少し残っているやつ、どうしても取り出せない…。あきらめて捨てるか迷っていました。
そのボトルにぬるま湯を半分くらいまで入れ、蓋をしてシャッフル。
この液を適当にバスタブに注いでみました。(希釈の具合によりますが、今回は大さじ3程度。)
これがなかなか良い感じ。季節的に乾燥気味の肌が入浴後も適度にしっとり。
安い入浴剤よりも、こっちの方が肌と相性が合うかも…。
ボトルも綺麗に洗えるし、一石二鳥かな。

あの日を振り返る

2011年3月11日、2時46分、私は東京の自宅にいました。
主人が長野の出張から帰宅した直後で、二人でおしゃべりしながら過ごしていたのです。
突然おそった揺れ。いつもの地震より大きいと感じた時には、書斎の本がバッサバッサと落ち、テレビがぐらぐらして台から落ちそうになっていました。
急いでベランダの窓を開けると外から子供の悲鳴が聞こえてきました。テレビを押さえている主人と目を合わせながら、止まらない揺れに、最悪の事態を想像しました。
最初の揺れがどのくらい続いたのかわからないのですが、とにかくとても長く感じました。いろんな思いが渦巻くだけの時間があったのは確かです。

揺れがおさまったようなので、千葉に住む母と妹家族に連絡をとろうとしました。メールを送ったけど返ってきません。当時、海外の友人との連絡用に利用していたFacebookに地震の驚きと無事でいることを投稿してみました。

テレビを見て、震源が東北であることを知りました。東京でこれだけ揺れていたのに、震源が三陸沖であることに驚愕しました。現地はどうなっているのか?そんなことを考えながら、テレビを見ていると、津波の映像が流れてきました。宮城県名取地区の上空からの映像でした。道を走る車を波が呑み込もうとしていました。まるで目を閉じるようにカメラが視線を切り替えました。

固定電話で家族の無事を確認しました。九州の親戚からは心配する電話がかかってきました。その後…、しばらくどんなふうに過ごしていたか覚えていません。余震が続き、原発の不安が増し、テレビやインターネットで情報を集めようとしていたのかもしれません。

今日、あれから1年が経過したことを認識しようとしています。
2時46分に、多くの人がしたように、黙祷をしました。
目を閉じた途端、涙があふれてきました。私は、誰に、何に、黙祷したのだろう?