掃除している誰か…

普段は無機質で冷たい感じのアスファルト。でもこの時期は落ち葉が映えて歩くのが少し楽しい。ただ、この大量の葉っぱはどこへ行くのかな?と思ってもいました。山の中なら土へ帰るんだろうけど…。


大きな道路沿いの商店の片隅に、掃除道具が置いてありました。
誰かがコツコツ掃除しているんですね。
いろんな人のコツコツが、暮らしを支えている…。


10月の影


暗くなる前に買い物を…と慌てて外に出たのは4時半頃。
黄金色の西日に照らされ、街路樹や電柱の影が、ずいぶん遠くまで伸びています。
こんなに長かったかな?
気付くと、私の足下からも…。
「暮れなずむ街の…」贈る言葉の歌詞が浮かんできました。

秋の空を眺めながら

今朝、夢の中で懐かしい人に会っていたらしく、なかなか目が覚めませんでした。窓の外を見ると、昨日のドンヨリ雲は去り、真っ青な空。でも肌寒くて、しばらく布団の中でボーッとしていました。
気付くと旦那さんが自分で弁当用のサンドイッチを作っていました。昨夜、ゆで卵作って欲しいというリクエストを断ってしまい悪かったな…と思いつつ、黙って見送り…。
ベランダに出て冷たい空気を吸いながら秋空を見つめていると、そうしている自分の姿が絵になって浮かんできました。
芸術の秋、誰がそう言い始めたのか知らないけれど、年々それを体で感じるようになりました。
今夜は、久しぶりに大学時代の友人と飲み会。和やかな一日になるでしょう。

秋、やりたい事はいろいろあるのに


涼しくなってきたら、何だかやる気が出てきました。
久しぶりに自転車でぶらぶらしてみたいな。紅葉を探しに山間の温泉とかにも行きたいな。本もいろいろ読みたいな。これまでの旅の思い出をまとめたいな。家の整理整頓もしたいな。あれやこれや作りたいな。

やりたいことが沢山ありすぎて、何から始めたら良いかわからなくなりました…。

結局、お茶やコーヒーを飲みながら、やりたい事の妄想時間ばかりが過ぎて行くのでした。(つまり、まだ、何もやっていない…)

緑の剪定


この夏は猛暑だったのか?単に暑い日が長かったのか?毎年のように「今年は猛暑」と言われている気がするので、いつも通りだったのかもしれないな…。そんなことを考えながら、御無沙汰気味だったベランダのの手入れをしました。
過酷な環境にもかかわらず、随分と生い茂った我が家の緑…。
特に虫除け効果を期待して購入したカレンソウ(ゼラニウムの一種)の繁殖力は凄い。チョキチョキ、ハサミで剪定しました。まるでロングからショートヘアにするように…。ゼラニウム系は挿し木すると、簡単に増えるので、切り取った部分を小さな鉢にさして増殖させるつもりです。

稲刈り体験で、有機農業について知ったこと

数年前に埼玉で有機農業を始めた知人のO君、時々メールの近況報告で、一人で新規農業にいどむ体験談を知らせてくれていました。
有機農業というと、心豊かな田園生活を想像しがちですが、体験談では経済的な厳しい現状も含めリアルな農業生活が伝わってきていました。

本格的な稲作を始め2年目となる秋の週末、稲刈りのお誘いがあり、夫婦で手伝いに行くことにしました。
池袋から1時間半ほど電車に乗ると、建物が少なくなり緑豊かな田園地帯が広がってきます。待ち合わせした駅に現れたO君は、軽トラに農具を積み、作業ズボンが板についていて、見た目はベテラン農家といった感じでした。軽トラは2人乗りなので、ご近所の女性が私達の車送迎をしてくれました。駅から昭和な感じの商店街(昔は街道の宿場町風)を抜け、車で約10分、コスモスの奥に見える3枚の田んぼが、今回の目的地です。

田んぼの向こうには鎮守の森

JR八高線が通る長閑な山里

十数名のお手伝いが集合したのですが半数以上が女性とちびっ子。近所の新規就農仲間の人も女性。もっとマッチョな男性陣を想像していましたが、この草食系な雰囲気こそ有機農業の本質を表しているのかもしれません…。

台風が接近しているとはいえ、この日は良い天気。清々しい稲刈り日和だなあ…と思ったのですが、作業が始まり体を動かすと、汗はかくし、喉も乾く、肌に日差しがジリジリきて、全然爽やかじゃなくなっていました。
き、きつい…。
作業する人は大勢いるし、田んぼ3枚くらいの稲刈りは簡単に終わると思っていたのに…。


私の生まれ育った庄内平野は、広い田に高い山々に積もった雪解け水が注ぎ込む、米作りの環境としてはとても恵まれた地域でした。先祖代々受け継いできた農地、大きな貯蔵施設、稲刈りから脱穀作業を一気にしてくれる機械、そんな、有って当たり前だと思っていたものが無かったら…。
今回、その無かった場合の過酷さを学ぶことができました。

O君は稲を刈る小さな機械は持っているのですが、それは刈り取って束ねるというシンプルなもの。脱穀はできません。
そこで「はざがけ」という方法で稲の束を乾燥させ、後日脱穀作業をするのだとか。こうした方が米に甘みや旨味が増すというメリットもあるそうです。ただ、天気が良ければ問題ありませんが、天候が不安定な時には手間がかかり、途中で台風や雨にみまわれるリスクもあります。コンバインがあれば一度に脱穀まで終えることができるのですが、そうした機械は高額で、O君の農業規模ではどんなに頑張っても減価償却できないそうです。
田んぼの端や角は刈り取り機が入らないので手で刈り取ります。
刈り取り自体は大勢でやれば大した事ではないのですが、それを束ねる作業が大変でした。古い稲藁を紐代わりにして結ぶ際、結び目をしっかり固定するのが難しいのです。藁の端を折り、指でギュウギュウ隙間に押し込んで止めるという作業に時間がかかり、指先も痛い。
また、はざがけ用の棒を立て作業にも困難が…。稲藁の重さに耐えられる強固なものを組まなきゃいけないんだけど、数に限りのある棒を節約しようと支柱の間隔を長くとると、強度的に不安定になってしまう…。こうした棒を(お金をかけずに)手に入れることも新規就農者には難しい…。

全く無の状態から、有機農業を始めるのって「無」の連続だ…。お金をかけずに手間をかけるといっても、一人じゃあ大変だし、不安だろうなあ。昔の農村で村八分になることが如何に辛かったか…。そんな諸々のことを考えつつ、稲刈り作業は日没まで続きました。

目標の半分くらいしかできなかったけど、暗くて何も見えなくなっちゃったんで作業は終了。手伝いの皆でオーガニックカフェで夕食。疲れてクタクタ状態でしたが、美味しい食事をしたら元気がでてきました。
食事をしながらの話題は、O君がどうしたら有機農業で食べて行けるか、、、だれもが農業の大変さを同じように感じ取ったんでしょうね。荒唐無稽のアイディアを含め話は尽きませんでした。

ヨーグルト漬け

最近ヨーグルト漬けに凝っています。といってもヨーグルトに塩や味噌や昆布を混ぜたタレにいろいろ漬けるというもの。
野菜を漬けると、発酵した香りがして、浅漬けよりコクがあり「漬け物」っぽさが増します。
野菜を漬けた後は、二次利用としてお肉を漬けます。冷蔵庫で長く保存できるようになるし、下味もついて一石二鳥。お肉を柔らかく仕上げる効果もあるみたいです。漬け汁ごと煮込み料理に使ってしまえば余す事無くフル活用できます。カレーや筑前煮風にして使ってみましたが、ヨーグルトの酸味は消え、まろやかなコクになります。

仕分け遊び


先日、甥っ子の子守りをしていたら、彼が数種類のカルタをごちゃ混ぜにして床に散りばめて楽しんでおりました。このまま散らかしっぱなしは困るな…と、いろいろ策をめぐらせ、「仕分け遊び」というのを思いつきました。
散乱したカードを拾いながら、仕分け場所にカードを置く時、「あ、あ、あーおだよゥ!」「ピピピピピンク、ピンクだよ!」「ライオンちゃんライオンちゃんライオンちゃんだよゥ!」「クマ、クマ、クマちゃんだよ!」とラップ風というかDJ風というか、とにかくリズミカルな調子でカードの種類を口ずさむのです。
これが予想以上に甥っ子の壷にはまり、本人も楽しそうに仕分け(片付け)始めました。
順調に仕分けが終わり、「わーい!できたね!」と笑顔のフィニッシュ、我ながら作戦大成功かと思ったのですが…、
「もう一回!」というリクエストの声と同時に、バサバサとカードはシャッフルされバラ播かれたのです。
こうして、仕分け片付けてはバラ播き散らかすという禅の世界を連想させる「仕分け遊び」が延々と繰り返されました。何だか人生の奥深さを味わわせていただいた気がします。どこかの神様、ありがとう…。

さんま三昧


秋刀魚の季節になってきました。義兄さんの家より旬の秋刀魚をいただきました。
産地直送便の発泡スチロール箱を開けると、氷水の中にキラキラ輝く秋刀魚がギッシリ!見るからに美味しそうです。
塩焼きにしたり、梅干しとショウガで甘辛く煮付けたりしていただきました。

キュウリの辛子漬け


帰省した際に、ご近所さんからいただいた「キュウリの辛子漬け」がとても美味しくて、我が家でも作れないかと試行錯誤してみました。
最初はスーパーで辛子漬けのもとを買ってやってみたのですが、少しニュアンスが違い、自分なりにいろいろ配合を変えて漬け比べてみました。
その結果得られたベストな配合比が、キュウリ2本に対して、塩小さじ1/2 弱+ からし粉小さじ1/2 + 砂糖大さじ2です。
漬け方は、配合比で合わせた粉をビニール袋に入れ、その中に洗って水を拭き取ったキュウリを丸ごと入れ、粉をよくまぶしながら揉みます。あとは袋を密封して1〜2日漬け込みます。黄色い汁が出てきて、キュウリの表面がシワっぽく、しんなりしたら完成。
辛子漬けと言っても、奈良漬けみたいに癖がなく、さっぱりして、ほんのりピリ辛です。美しい緑色が際立ち、暑くて食欲が無い時でも、パクパク食べちゃえます。

一個のゴーヤから。命の継承物語。


昨年、ゴーヤの苗を一株買って、初めてグリーンカーテンに挑戦してみましたが、剪定のタイミングがわからず、そのまま伸ばしてしまったため、カーテンというよりは上の方で迷走した感じのものができました。
黄色い花は沢山咲いてそれなりに楽しめたのですが、実は一粒だけしかできませんでした。それも小さい。しばらく待てば大きくなるのかなと思って様子を見ていたら、黄色く熟してきてしまいました。あわてて収穫し、とりあえずゴーヤチャンプルというか、豆腐チャンプルーにゴーヤをトッピングした料理にし、美味しくいただいたのです。
完熟ゴーヤだったから、もしかして「種」使えるかな?と思い、小さなポットに乾いた土を入れ、その中に突っ込んで保管し、冬を越しました。
春になって、そのポットを他の植木鉢と一緒にベランダに置き、適当に水をあげていたら、ニョキニョキ芽を出し始めていたのです。数えてみると7株もあります!
あんなに小さいゴーヤから、7つのジュニアが生まれるとは予想外でした。過酷な我が家のベランダで親ゴーヤが必死で命を繋ごうとしたからかもしれません。
同様に、昨年こぼれた種から、シソやニチニチソウも芽を出して成長中。
気まぐれガーデナーの下では、強い生命力の植物達が子孫を残すという生態系が築き上げられるのです。自然の力は偉大です…。

金環日食の和


今朝の東京は、金環日食で大盛り上がりでした。
心配されていた天気も、我が家周辺は薄い雲がちらつく程度で問題無し。7時過ぎになると、子どもたちの嬉しそうな声が聞こえてきました。
7時半近くになりいよいよ日食のピークという頃、東側の玄関から外を見ると、隣の家の御婦人も太陽を見ていました。
驚いたのは、隣にある、いつもは殺伐とした感じがする大型マンションの南向きベランダ。ずらっと並ぶ窓辺にこんなに沢山の人が現れていることなんて今までありませんでした。普段は人間関係の希薄な都会の住宅街が、今日はお祭りみたい。
明るい空に向かう人達の表情は、とても穏やかです。
子どもたちが「凄い!」「わーっ輪っかだあ!」「見て、見て、環だ、環だ!」と感激の声を発しています。

確かに太陽の形の変化も感動的ではありましたが、一番の感動は、それを見ている空間でした。太陽が月に隠れたというよりも、一緒になって、みんなの和を成したという感じが素敵でした。

一緒に日食を見ていた主人は、様々なご近所の動向を発見し楽しんでいました。
同じマンションに住んでいた娘さんが、隣の大きなマンションに移り住んでいたこと。推測するにご両親家族は私達と同じマンションで、娘さんは結婚して隣のマンションに引っ越した…。
サラリーマンらしき男性が、ワイシャツネクタイをしているけど、下はパンツ姿で日食を見ている。会社に行く準備をしながら家族に促され慌てて表に出てきた…。

ベランダごとに、いろんなストーリーが感じられる、楽しい都会の一時でした。

下町の風情


先日、東京に直下型の地震がきた場合の被害想定が発表され、古い木造住宅密集地が、倒壊や火災の危険にさらされているという報道がありました。
私の住んでいる地域にも、そうした指摘に該当するエリアが沢山あります。
しかし、そうした危険と言われる地域というのは、普段、目にしている分には、とても和やかで優しい風情のある場所なのです。
小さな路地裏の玄関先には、丹精に育てられた鉢植えが置かれていたり、静かに暮らしている老夫婦の姿を見かけたり…。
いろんな思い出があるんだろうな…と感じる古い木造家屋。その思い出を共有する家族が健在なうちは、その姿のままであってほしい。

そろそろ冬物しまおうかな…


そろそろ冬物から夏物へ切り替えかな…と思っています。
冬物の洗濯はボリュームがあるので一度に沢山できず、移行に時間がかかります。

衣替えの度に、タンスの肥やし予備軍の服を発見。
お務めを辞め、家で仕事をするようになってから、ジャケットやスーツなどを着る事が激減しました。もしかしたら打ち合わせで必要になるかも…と思いつつ、何年も御無沙汰しているものもあります。ウエストまわり、大丈夫かしら?

イチョウの街路樹


東京都の木「イチョウ」。シンボルマークにもなっています。
近所の17号線沿いに、そのイチョウの街路樹があります。
毎年冬に枝の剪定がなされ、すっと高い幹に、短いこぶ付きの枝が可愛く、なかなか美しいシルエットを保っています。
この時期になると、新芽が生えてきて、鮮やかな黄緑の並木道に。
初冬の力強い黄色のイチョウも風情がありますが、春のこの時期ならではの黄緑も素敵です。


いつも通る場所で

いつも買い物で通る道。その道沿いに倉庫のような古い建物。
普段は全然気にすることなく通り過ぎていたのですが、ある日その前に綺麗な紫色の花がタワワに咲いていました。
入口の戸の前に茂る草。普段、人の出入りがないことがわかります。
黒板色のガラス戸、中の様子はわかりませんが、開かずの倉庫という雰囲気。
人の営みと、自然の営みのコントラストを感じる光景です。

ベランダガーデニングも新たなスタート


いろんな所で新生活がスタート。
冬の間、ほぼ休眠状態のベランダも、植え替えたり、鉢の整頓をしたり、位置を調整したり、新たなサイクルに向けてスタートしました。

散る姿もまた美しい


満開の桜の華やかさを1年ぶりに目にし酔いしれたのもつかの間、もう花びらが散り始めています。時間を止めてもう少し眺めていたい気持ちもありますが、散り行く姿に「もののあはれ」を感じ、キューンとするのもまた快感。
アスファルトの道に花びらが舞うのを見ながら、別れを惜しんでいます。

嵐の後に桜


昨日は全国的に台風なみの暴雨風雨で、咲き始めの桜を心配していました。
今日、様子を確認してみたら、どうにか耐えていてくれたようです。近所のものは、4部〜5部咲きといった感じです。週末はお弁当持って花見に行きたい気分。

乳液から入浴剤

お風呂の入浴剤って、無かったら無いでどうにかなるけど、あったら嬉しい…。
ちょうど、入浴剤が切れてしまい、重層とかアロマオイルで代用しようかとも思ったんですが、ちょっと別の方法を試してみました。
ボディ用乳液、ほとんど使い切ったけどボトルの底に少し残っているやつ、どうしても取り出せない…。あきらめて捨てるか迷っていました。
そのボトルにぬるま湯を半分くらいまで入れ、蓋をしてシャッフル。
この液を適当にバスタブに注いでみました。(希釈の具合によりますが、今回は大さじ3程度。)
これがなかなか良い感じ。季節的に乾燥気味の肌が入浴後も適度にしっとり。
安い入浴剤よりも、こっちの方が肌と相性が合うかも…。
ボトルも綺麗に洗えるし、一石二鳥かな。

あの日を振り返る

2011年3月11日、2時46分、私は東京の自宅にいました。
主人が長野の出張から帰宅した直後で、二人でおしゃべりしながら過ごしていたのです。
突然おそった揺れ。いつもの地震より大きいと感じた時には、書斎の本がバッサバッサと落ち、テレビがぐらぐらして台から落ちそうになっていました。
急いでベランダの窓を開けると外から子供の悲鳴が聞こえてきました。テレビを押さえている主人と目を合わせながら、止まらない揺れに、最悪の事態を想像しました。
最初の揺れがどのくらい続いたのかわからないのですが、とにかくとても長く感じました。いろんな思いが渦巻くだけの時間があったのは確かです。

揺れがおさまったようなので、千葉に住む母と妹家族に連絡をとろうとしました。メールを送ったけど返ってきません。当時、海外の友人との連絡用に利用していたFacebookに地震の驚きと無事でいることを投稿してみました。

テレビを見て、震源が東北であることを知りました。東京でこれだけ揺れていたのに、震源が三陸沖であることに驚愕しました。現地はどうなっているのか?そんなことを考えながら、テレビを見ていると、津波の映像が流れてきました。宮城県名取地区の上空からの映像でした。道を走る車を波が呑み込もうとしていました。まるで目を閉じるようにカメラが視線を切り替えました。

固定電話で家族の無事を確認しました。九州の親戚からは心配する電話がかかってきました。その後…、しばらくどんなふうに過ごしていたか覚えていません。余震が続き、原発の不安が増し、テレビやインターネットで情報を集めようとしていたのかもしれません。

今日、あれから1年が経過したことを認識しようとしています。
2時46分に、多くの人がしたように、黙祷をしました。
目を閉じた途端、涙があふれてきました。私は、誰に、何に、黙祷したのだろう?

徒歩10分の日帰り温泉


徒歩10分ほどの場所にある、素敵なスーパー銭湯に行きました。
昼過ぎに行き、遅めの昼食を食べ(蕎麦が美味しい)、ゆっくり温泉につかり体を温めました。塩分を含む温泉です。
平日ですが年配の男女で賑わっていました。
1回800円ですが、回数券だと750円くらいになるらしいので、湯治感覚で利用する人も多いのかもしれません。

最近、手ぬぐいの良さを実感しています。
タオルより吸収力が無いような気がしていたのですが、絞りながら使うと、むしろ水分をよく拭き取れるかも…と感じています。
また、年齢と共に肌が弱くなってきたようで、ボディータオルよりも洗うときに優しい肌触りなのも気に入っています。
旅行などでは、コンパクトで濡れても干しておくとすぐ乾くので重宝しています。

温泉、手ぬぐい、日本の伝統文化にあらためて感心するのでした。

バレンタインに大人風ココアホットケーキ


バレンタインデーにチョコでドキドキする年齢ではないんですが、
何にもしないのも淋しいし、かといって安いチョコを買って来てもつまらない…。
できるだけ簡単にハッピーなおやつを作りたいと思いました。

ココアとプラムを使う事で、ちょっと大人風な味のホットケーキが作れました。
前の晩に、豆乳(or 牛乳)にドライのプラムと、オレンジの皮(我が家では柑橘類の皮を干してとってある)を入れて、香り付けしておくのがポイント。プラムが柔らかくなるので小さく刻みやすくなります。豆乳も洋酒のような香りになります。
あとは、普通にホットケーキを作る要領で、卵と豆乳をかき混ぜ、刻んだプラム、ホットケーキミックス、ココアパウダーを入れて混ぜ合わせ、フライパンで焼きます。
ココアが焦げ付くといけないので、やや小さめにして焼くのが良いようです。

重ねたホットケーキに、ココアパウダーをふり、メープルシロップをたらし、バターをのせて完成。
プラムとオレンジの香りがココアに合い、大人っぽい味に仕上がりました。美味しい♡

寒い日はホワイトソースでほっこり料理


野菜の値段が高くて、日々料理に悩んでおります。
寒いのに貧乏くさい料理だと、心もしんみりしてしまいます。安い食材でリッチ感のあるものが作りたい…。
そこで活躍してくれるのが「ホワイトシチューのルー」です。100円ショップとかだと8分割できるものが買えます。
そのままシチューにしていただくこともできますが、我が家は夫婦二人なので、半分くらいで間に合ってしまいます。あと半分は小分けにして、ホワイトソースの素として使います。
残り野菜を小さく刻み、ベーコンの切れっ端などと一緒に炒め、水少々を加え火を通します。そこにルーを一切れ加えて溶かすだけで万能簡単ホワイトソースができます。
コクを出すのに、牛乳や豆乳、チーズなどを入れ、塩胡椒(場合によっては味噌)で味を整えます。
これをご飯にかけてチーズをのせてグリルすれば、温かいドリアになりますし、安い鱈を焼いたものに添えたり(一緒にレンジ蒸しても美味しい)するとリッチな魚料理になります。
安い食材は、鱈、豆腐、芋、モヤシ、大根など淡白なものも多いので、ホワイトソースとの相性は抜群です。



消え行く昭和の佇まい



近所の路地を歩いていると、ある日突然できている空き地。
確か、ついこの間までは、何かが建っていたんだけど、何だったかな?
東京に住んでいると、よくそんなことに出くわします。

私が住んでいる地域は、中山道沿いの下町で、昭和の風情ある家もまだまだありますが、それでもここ数年で随分と様変わりしてきました。
町工場風の建物はマンションになり、木造住宅だった場所は何等分かの敷地に分けられて細長い家が建てられ…。
ぽっかりとできた空き地を見ると、高度経済成長を支えてきた親世代がリタイヤし、代替わりと同時に家を手放したり、立て替えたりするのかな…と想像します。

気がつけば平成24年。昭和が終わって干支が2周りするだけの時間が経過しました。
徐々に昭和の風景はフェードアウトしていき、その様子は映画とかでしか見られなくなるのかな…と思うことがあります。

先日ニュースで、50年後の日本の人口は8993万人まで減少すると報じられていましたが、その頃生きている人は、私が明治時代に対して抱く距離感を、昭和に対して感じるのかもしれません。
年を重ねると、消失する事の重さも理解できてくるんだな…と思いました。

冬はリンゴが似合う


日本列島に寒波が押し寄せているらしく、さすがの東京も足先が冷たく感じるほど冷え込んでいます。
いかにも冬だという空気の中で、リンゴを見ると、素敵な色をしているな…と感じます。
思わず、水彩絵の具を溶き、絵にしてみました。

雪の中を歩く



今月に入り、東京にも雪が降りました。
雪に不慣れな東京の人たちは、足を滑らせ苦労したようです。雪用の靴が急激に売れたそうです。そもそも東京では靴の裏側がどんなふうになっているか気にする事は稀です。

雪国育ちの人は、自然に滑らないように歩く方法を身につけています。路面の輝き具合や雪のつもり具合から、危険な箇所を見抜き、そういう所では重心を垂直に下ろすようにして小股に歩くのです。

久しぶりに東京で雪を踏みしめて歩きました。シャリシャリという音が心地よく感じました。

黒豆パンプディング


お正月のお節の黒豆ですが、毎年余ってしまいます。余るとわかっていても、何となく彩りとして欲しいかな…と準備してしまう…。でも食べきれない…。
卵と牛乳と砂糖を適当に混ぜた液に、パンを適当な大きさに切ったものと、黒豆を浸し、レンジでチンしてみました。
見た目も良いし、黒豆のホクッとした甘みと、プディングのしっとり感がマッチして、結構美味しいおやつになりました。